シリーズ:劇場の中の人に会いに行く 令和と劇場
第7回 世田谷パブリックシアター 芸術監督 白井晃さん
2023年6月9日
いろいろなアートがあふれる劇場にしたい
2022年4月、世田谷パブリックシアターの芸術監督に就任した白井晃さん。佐藤信さん、野村萬斎さんに次ぐ3代目となる。演出家であり、俳優であり、KAAT神奈川芸術劇場の芸術監督を務めた経験もある白井さん。演出家として、芸術監督として、また、20世紀の演劇を知る者として、これからの観客を招き入れる者として、眼差しをスイッチしながら演劇を作っている。芸術監督としては「アート・ファーム」宣言を行った。気になるワード「アート・ファーム」とはーー。
Akira Shirai
京都府生まれ。早稲田大学卒業後、1983~2002年、遊⦿機械/全自動シアター主宰。現在は、演出家として、ストレートプレイから音楽劇、ミュージカル、オペラまで幅広く手掛ける。世田谷パブリックシアターでの主な演出作に、「こわれた玩具」「アナザデイ」「ラ・ヴィータ」「ピッチフォーク・ディズニー」「宇宙でいちばん速い時計」「偶然の音楽」、音楽劇「三文オペラ」「ガラスの葉」「マーキュリー・ファーMercury Fur」「レディエント・バーミンRadiant Vermin」「住所まちがい」などがある。第9、10 回読売演劇大賞優秀演出家賞、湯浅芳子賞(脚本部門)、佐川吉男音楽賞、小田島雄志・翻訳戯曲賞などの受賞歴多数。2014年~16年、KAAT 神奈川芸術劇場のアーティスティック・スーパーバイザー、16年~21年、同劇場の芸術監督を務めた。22年4月、世田谷パブリックシアターの芸術監督に就任。
芸術監督としては広角の視線で
――今回、芸術監督の白井さんとしてのお話を中心に、音楽劇「ある馬の物語」の話も伺います。その場合、「芸術監督として」と「演出家として」では話し方は変わりますか。
「もちろん変わります。演出家のときは“演劇と自分”になりますが、芸術監督となると“劇場と自分”になり、“劇場の活動”として語っていくことになりますから。『ある馬の物語』は本来、3年前に上演が予定されていました。そのとき僕は、世田谷パブリックシアターの芸術監督ではなく、KAAT神奈川芸術劇場の芸術監督だったので、一演出家として呼んでいただいたんです。ところが、コロナ禍で上演が延期になってしまいました。3年経った今、図らずも、世田谷パブリックシアターの芸術監督という立場で上演することになりました。そういった意味では、今は『ある馬の物語』が劇場にとってどういう意味合いがあるか、少し広角でこの作品に取り組んでいます。荒っぽい言葉で言うと、やり逃げできない(笑)」
――劇場になんらかの成果をもたらさなければならないという重責が?
「例えば、同じせたがや財団が運営する施設の一つに世田谷文学館がありますが、その館長でロシア文学の大家である亀山郁夫さんと、芸術監督としてお話しする機会があると、その重みを改めて感じますし、ロシアの作家の作品を今、この時期にやることに関して、劇場としてどういう気構えで向かうのか意識せざるを得なくなります。といって、そのことばかり考えると、作品が窮屈になってしまいますから、作っているときは楽しく、自分がこの作品で思うことを表してみたいと思ってやっています」
――まず、芸術監督として、「ある馬の物語」は、今回、劇場にどのようなことをもたらす作品と考えていますか。
「ウクライナとロシアの戦争が勃発したとき、果たしてどうするかという議論はありました。でも、区としても、財団としても、ロシアの為政者と表現者や文学者を混同することはあってはならないし、表現の自由が奪われてはならないという立場で、『ある馬の物語』にしっかり取り組もうと決心しました」
――そこが3年前と違うということですね。
「この3年の間に、世界の裏側に押しやられ、隠されていたいろいろな問題が噴出してきました。たとえば、差別の問題や貧富の格差などです。それによって、この作品の持っているメッセージがより切実なものになるのではないかと考えています。トルストイは大地主の息子でありながら、資本主義や所有することについて非常に懐疑的な目線を持っていました。彼の問題意識を、3年前、僕がこの作品に向き合った時よりも、よりしっかりと表出しないといけないと思っています」
古典を現代に置き換えてみる
――今、見るべき作品だと感じます。では、ここから演出家としての、白井さんにうかがいます。音楽と身体表現をふんだんに取り入れたり、時代を現代に置き換えたりしているそうですね。
「まず、『人間とは何なのか』というテーマをダイレクトにやるのではなく、“馬の物語”という形で観るという仕掛けによって、おもしろい作品になります。主役の成河くんも、小西遼生くんも音月桂さんも、出演者の多くが馬になります。現在、立ち稽古を始めて4日目なので、まだどうなるか試行錯誤中ですが、演劇って豊かだな、と思えます。人間が馬をやることで観客の想像力を喚起させられる、これほど豊かで面白いことはないですよね。
さらにそこに歌やムーブメントが加わって、生演奏も取り入れます。このような総合芸術こそ、この作品のテーマをより的確に広範囲に伝えることができると考えています。
出演者の皆さんは、出自も違う人たちです。小劇場、アンダーグラウンド出身の人もいれば、ミュージカル出身の人もいれば、宝塚出身のかた、劇団四季出身のかたや、劇男一世風靡出身のかた、お笑いグループ・コント赤信号のかたもいて。そのバラバラ感が、見ていてたまらなくおもしろい。これこそ人間社会の縮図のようでもあります。多くのかたに楽しんで見ていただきたいです」
――時代を現代に置き換えることにした理由を教えてください。
「演劇の手法は様々ありますが、古典作品をやる場合、古典をリアルに立ち上げ、その時代の様相を再現することによって、今に通じるものが昔にもあったことを見せる方法もあります。あるいは、全ての要素を置き換えて現代のものにしていくことも。例えば、馬の話にもかかわらずクルマが出てくるようなものにするという手もあります。しかし、今回、そこまでの飛躍はさせず、トルストイが原作を書き、48年前に舞台化した作品を、今の我々が生きている2023年という空間と時間の中に置いてみたらどうなるかーー。僕たち観る側が、過去の作品を観ているというよりも、現代の我々に通じるという接点を、より潜在的に意識していただけるような演出にしたいと思っているところです」
――「ある馬の物語」を書いたトルストイは19世紀の作家です。150年近く前の作品が今と通じていることが興味深いです。
「僕はこれまで、ブレヒトやイプセンなど、19世紀後半から20世紀初頭の作家たちの演劇をたくさん手掛けてきました。彼らの戯曲に書かれていることが、時代が大きくうねっている現代の状態と似ていると強く感じるからです。タモリさんが今の時代を『新しい戦前』というふうにおっしゃったことが話題になりましたが、僕も同じように感じていて。古典の言葉を100年後の僕たちが、僕たちの今の感覚で読み取り、自分たちの感覚で表すことに意味があるんじゃないかと思っています。シェイクスピアに至っては400年も前の作品で、その頃の世界観を完全にわかるわけがないけれど、僕たちはシェイクスピアの言葉から受け取ったものを、今の感覚でやろうとするわけですよね。400年も100年も、その本質は変わらないと思っています」
アート・ファーム宣言とは
――昔の作品を現代にどう上演するかについて、話は少し逸れますが、世田谷パブリックシアター提携公演、21年、「更地」(主催:公益財団法人新潟市芸術文化振興財団、KUNIO/合同会社KUNIO, Inc.)を上演したときの白井さんのアフタートークが興味深かったです。90年代の作品「更地」を現代的に演出したもので、太田省吾さんのオリジナルをリアルタイムで観ていたような観客が戸惑っている雰囲気があり、白井さんがトークで新しい観客と旧時代からの観客をうまく接続しようとお話をされていました。
「90年代の作品を、若い世代の杉原邦生さんが演出した公演時のことですね。アフタートークで客席に聞いたところ、主として、昔を懐かしみたい人、若い世代の演出家がどう演出するか興味のある人、単純に演劇を楽しみたい人の3つに分かれたと記憶しています。その時、僕は、その状態が混在していることが劇場の意味だと思いました。そして、そういうことができるような劇場になっていかないとダメだとも思います。老若男女が一つの場所に一つの時間で集まって、語り合い、交流を行うことが、劇場という場所の素晴らしさだと思います」
――そういうふうに考える白井さんの『ある馬の物語』はきっと、異なる世代の人たちが楽しめて、今の時代について考えるものになっていると思いますし、今後の作品の選択も興味深いです。芸術監督としては、世田谷パブリックシアターで公演するラインナップをどう選ぼうとされていますか。
「『公共劇場は、公共に病院があるのと同じように、心の病院のようなものだ』と言う言葉をどなたかが言っていたと記憶しますが、僕は最近、それをずっと肝に銘じています。劇場に来て『おもしろい』でも『おもしろくない』でも『腹が立った』でも『笑った』でも『泣いた』でも、なんでもいいから、心を動かせる場所として機能できるインフラに、劇場はならなくてはいけないと思っています。劇場で上演するものというと、演劇、ダンス、サーカス、音楽……そういったものが思い浮かぶわけですけれど、もっと違うものがあるかもしれない。もしかしたら、スポーツがあってもいいかもしれないし、美術展があってもいいかもしれないし、ファッションショーがあってもいいかもしれない。とにかく、人々が同時に集まるという価値があるものであれば、どんなことも可能性があるのではないかなと思っています。そこで僕は『アート・ファーム宣言』をしました。劇場とは、芸術の畑であって、地面からいろいろな芽が出て来て、にょきにょき育ち、それを抜いたら、人参やゴボウや、いろいろなものが収穫できるといいなと思っているんです」
――キャッチーな言葉ですね。
「僕は世田谷区民ですが、世田谷区って畑が多いんですよ。中には、畳一枚分、土地をお貸しします、という畑もあって。お歳を召してきた地主さんが自分たちで農業ができないから、皆さんに貸し出して、なんでも作っていいという“レンタル土地”みたいなことをやっているんです。『アート・ファーム』はそこからヒントをいただきました。それでチラシのデザインも野菜のような黄色と緑になりました」
――アート・ファームとしての具体的な企画はありますか。
「まだ漠然としていますが、いろいろなアートがあふれる劇場にしたいと考えています。劇場の外にも、劇場の中の催しがあふれ出すような、キャロットタワー全体がアートにあふれる場所になったらいいなと。例えば、2階のユニクロに来たついでに3階の劇場に上がって楽しんじゃった、みたいなことができたらいいですよね。劇場の入っているキャロットタワーの2階にユニクロができて、あそこで演劇ができないかなとも思いました。店員だと思ったら、みんな役者で、来た人が一つの作品の中に巻き込まれる、みたいなことができないかなとかね(笑)。もともと、佐藤信さんの代から目指していらっしゃったことで、それをもっともっと広げていきたいなと。それと、やっぱり、演劇や舞台芸術が、我々にとってどれだけ豊かなものなのか、ということを示し続けていきたいから、若い人たちが活動しやすい場所にしたいとも思っています。経済面で劇場を借りにくい若い人たちのサポートもできるようにしていこうと取り組んでいます。若いお客さんにも来ていただきたいですね」
――劇場のビルのなかにできたユニクロに『ある馬の物語』のチラシが置いてあって、新鮮な気持ちになりました。
「キャロットタワーに新しくユニクロさんがオープンすることになったので、チラシの配布とオープンイベントの景品として招待券を出させていただきました。同じく2階にあるTSUTAYAさんでは、以前から、演劇の原作本を置いていただいたりしています。三軒茶屋の街のお店とももっと連携していけたらいいですね。ほかのメディアにお客さんがどんどん流れていき、コアな演劇ファンだけが残るというガラパゴス化を阻止したいと切に願っています。公共劇場として社会を映し出す鏡のような作品を生み出すことを第一として、でもそれだけではなく、劇場という場所が、人と人とが直接出会う場であることを認識できるものを選びたい。コロナ禍、人と出会うことが少なくなったり、デジタルが発達しコミュニケーションの仕方が昔のようなスタイルではなくなってきたりしている現在、生で表現をして、生で観て、そこに起こる喜びを感じ取ることのできる演劇を作っていきたいと思っています」
世田谷パブリックシアター
1997年4月、開場
客席数:世田谷パブリックシアター 最大700人(椅子席612+立見88)、シアタートラム 最大定員248人
〒154-0004 東京都世田谷区太子堂4丁目1番地1号 世田谷パブリックシアター
“現代演劇と舞踊を中心とする専門的な作品創造・上演活動と、市民の自由な創作や参加体験活動を通し、新しい舞台芸術の可能性を探る劇場です。三軒茶屋駅前のランドマーク、キャロットタワーの中にあり、主劇場・世田谷パブリックシアターと小劇場・シアタートラムの2つの劇場のほか、稽古場や作業場、音響スタジオなど「舞台作品創造」のためのさまざまなスペースが用意されています。こうした施設を利用して、市民の生活と文化・芸術をつなぐという大きな目的を実現するために、1997年の開場当初より様々な「作品創造・上演」と「普及啓発・人材養成」のプログラムを展開してきました。また、単なる施設だけではなく、作品創造のために芸術監督や制作・学芸・技術分野の専門スタッフを配置した新しい運営スタイルは、全国の公共劇場から常に注目されています。”
(公式サイトより)
https://setagaya-pt.jp/
TOPICS1 アート・タウンからアート・ファームへ
劇場のあるビルに、書店、衣類雑貨店、飲食店が入り、三軒茶屋駅から直通で、近隣に賑わう商店街もあるという、ひじょうに恵まれた立地にあることで、住民と劇場(演劇)が繋がりやすいのが世田谷パブリックシアターの利点である。
例えば、「三茶de大道芸」は地元商店街と世田谷文化生活情報センターが一体となって1997年に始まり、秋恒例のフェスティバルとして好評を博している。
白井さんは、世田谷パブリックシアターの公式サイトで「アート・ファーム」宣言を公開している。これまであった「アート・タウン」という概念が、「アート・ファーム」として、より能動的に一歩前進した感がある。
TOPICS2 公共施設ならではの市民サービスが手厚い
世田谷パブリックシアターには「公演事業」と「学芸事業」という2つの大きな活動の柱があり、学芸事業としては、5つの柱で活動が行われている。子供対象のコミュニティプログラム、市民参加のコミュニティプログラム、地域連携、専門家育成、出版物の発行の5つ。子供や市民参加のワークショップをゆくゆく劇場公演と合体するような企画も実現させたいと白井さんは言う。
高校生割引やU24などの良質の演劇を若い世代に安価で提供する体制も整っている。
TOPICS3 東京演劇ストリート
TOPICS4 音楽劇「ある馬の物語」は6月21日から上演
「トルストイの『イワンのばか』は多くのかたが子供のときに読み親しんだと思いますが、今、改めて読むと、とても深いことが書いてあるんです。兄弟三人の中の末っ子イワンは、所有することに何の意味があるのかと指摘する。彼はバカと謗られますが、そのバカにこそ、人間としての価値があるという深さを、トルストイは作品のなかで言い続けてきたんです。『ある馬の物語』も馬の物語ではありますが、人間の物語であって。ホルストメールという馬を主人公に、人間の愚かさを描きだしています。そのひとつが、所有欲です。物もお金も、死んだら無用なものになる。そういう真理を、この作品はダイレクトに伝えてくれています。それは普遍的な、誰にでもわかりやすいテーマでもあります。主人公の馬が優れた能力を持ちながら、模様がまだらというだけで阻害されることは、現代社会の差別とも通じるものがありますよね。あらゆる今の社会状況を内包して、切なくも、楽しく、切なくも、静かに感動できる作品になっていると思います」(白井さん)
音楽劇『ある馬の物語』
【原作】レフ・トルストイ
【脚本・音楽】マルク・ロゾフスキー
【詞】ユーリー・リャシェンツェフ
【翻訳】堀江新二
【訳詞・音楽監督】国広和毅
【上演台本・演出】白井晃
【出演】成河 別所哲也 小西遼生 音月桂 大森博史 小宮孝泰 春海四方 小柳友 浅川文也 吉﨑裕哉 山口将太朗 天野勝仁 須田拓未 穴田有里 山根海音 小林風花 永石千尋 熊澤沙穂
【演奏】小森慶子(S.Sax.)ハラナツコ(A.Sax.)村上大輔(T.Sax.)上原弘子(B.Sax.)
【日程】2023年6月21日(水)〜7月9日(日)
【会場】世田谷パブリックシアター(兵庫公演あり)
撮影(白井さん):仲野慶吾
取材・文:木俣 冬