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interview REPORT

職員歴30年。2010年代の小劇場演劇の礎を築いた。三鷹市芸術文化センター 星のホール 森元隆樹さん

2024年11月28日

三鷹市芸術文化センターは、1995年11月3日(文化の日)に開館し、2024年で30年を迎えた。三鷹市スポーツと文化財団の演劇企画員・森元隆樹さんは31年前、プロパー(固有職員)として採用され、以来このホールに従事している。森元さんが25年前に始めた「MITAKA “Next” Selection」からは多くの気鋭の劇団や作家や俳優がブレイクしていった。目利きの才能を買われて、2024年からは読売演劇大賞の選考委員となった。
三鷹市芸術文化センターがいかにして小劇場劇団の登竜門となったのか森元さんに聞いた。

 

Takaki Morimoto

1964年広島県生まれ。早稲田大学在学中に劇団を結成。 解散後の94年9月、三鷹市文化振興事業団(現・公益財団法人三鷹市スポーツと文化財団)に就職し、現在、副主幹。読売演劇大賞選考委員。

 

招聘した『城山羊の会』や『北区つかこうへい劇団』の舞台に、なぜか出演させられることに…

――いきなりヘンな質問から入りますが、森元さんは時々、三鷹市芸術文化センター主催のお芝居に出演していますよね。あれはどういう経緯なんでしょうか。

森元「あっ、ほんとにいきなりですね(笑)。まさかその質問から始まるとは思いませんでした(笑)。ご覧になったのは城山羊の会ですよね。主宰であり作・演出の山内ケンジさんが、芝居の前説をやっていた私を見て思いつかれたようで、お願いしますと言われたのが始まりです。最初は、前説終わりでの女優さんの登場シーンで『きれいだ』と言う程度だったんですが、ご一緒するたびに出演シーンが長くなっていって(笑)。私は役者をやったことがなくて、やればやるほど『役者に向かないなあ』と思っていて、心の底から『困ったなあ』と思いながら演じている素人なので、いじりがいがあるのかもしれません。先ほども言いましたが、最初は本当に、前説に毛の生えたようなものだったのですが、それが回を追うごとに本格的になっていって。セリフも多くなり、ホール(劇場)の担当者役という役なのかどうかもよく分からない役だったり、銃で撃たれて血を流して死んだり、岸井ゆきのさんのお父さん役だったり、松本まりかさんと2人だけで会話するシーンが続いたり……。毎回、本当に自信がなくて、『城山羊の会のお芝居を壊しませんように』と思いながら、あくまでも真面目に演じているので、逆に山内さんは『今回はこんな風なことをしてもらったら、意外性があって面白いかも』と筆が進むのかもしれません。だから万が一、僕が出演することに欲が出てきたりしたら、きっと起用されなくなると思うんですよ(笑)」

筆者が見たのは、ホールの担当として
観客に事務的に前説をしていると思って見ていると、その担当者もお芝居の登場人物だったというもので、森元さんは異化効果的な役割を果たしていた。
大学時代、演劇をやっていたが、脚本や演出というスタッフ側で、俳優経験はなかった森元さんを、舞台にあげた最初の人物はつかこうへいさんだった。

「学生時代、演劇が好きだった僕は、つかこうへいの舞台も大好きで。三鷹市芸術文化センターで演劇担当になった時、つか作品の中でも特に好きだった『ロマンス』(99年/北区つかこうへい劇団/旧タイトルは『いつも心に太陽を』)という舞台を上演していただいたことがあったんです。その『ロマンス』は、水泳でオリンピック出場を目指す男子高校生たちの恋愛物話なのですが、小屋入りの1週間くらい前に、事務所の方から電話があって『つかが、森元さんに出演して欲しいと言ってます。つきましては、競泳用の水着を持って、明日稽古場に来てください』と言われて……」

俳優をやったことのなかった森元さんだが、あれよあれよという間に、つかさん独自の口立てでどんどんセリフをつけられ、ダンスをしたり、衣装(?)も競泳用水着から赤いふんどしに変えられ、裸に赤ふんどし1枚で舞台に出さされることになったりと、慣れないことに挑戦するハメに。

「つか劇団で頑張っていて、つかさんのセリフを言いたい思いに満ちた劇団員の方々がたくさんいるにもかかわらず……という申し訳なさもあって、ほんとに私が出演していいのかと、もうこれ以上セリフも出番も増えないでくれと、途方に暮れたものです」

それから歳月が経ち、再び、森元さんに目をつけた人物が城山羊の会の山内さんだったということで、森元さんには作家が興味を持つ何か魅力があるのだろう。「城山羊の会では、毎回恒例のようになっているので、僕が前説の場所に立っただけで、また何か始まるぞと、お客さんが笑ってくださっている時もあって」と伏し目がちに語る森元さん。照れ屋のようで、自身の仕事の話になると非常に饒舌に語る。実直で愛嬌のある森元さんのキャラが、三鷹市芸術文化センターの独特なカラーを作りあげている。

城山羊の会「萎れた花の弁明」2023年12月/三鷹市芸術文化センター星のホール

MITAKA “Next” Selectionという功績

それにしても公共事業で30年異動なしというのは珍しくないだろうか。

「プロパーで入っているからだと思います。市の職員じゃないんで」と言う森元さん。演劇に特化した専門性で30年、公共事業としての演劇公演を担当してきた。その最大の成果といえば、MITAKA “Next” Selectionである。毎年、気鋭の劇団を2〜3団体選んで上演を行ってきた。これに参加した劇団は、過去、猫のホテル、拙者ムニエル、シベリア少女鉄道、ONEOR8、ポツドール、ペンギンプルペイルパイルズ、ままごと、サンプル、モダンスイマーズ、イキウメ、ピチチ5、パラドックス定数、マームとジプシー、はえぎわ、ぱぷりか、小松台東、劇団普通、iaku……最近では劇団アンパサンド等きら星のような劇団が並ぶ。三鷹に出たあと、岸田戯曲賞を受賞したり、人気劇団になったりすることも多く、小劇場の登竜門になっている。

 

iaku『逢いにいくの、雨だけど』2021年4月/三鷹市芸術文化センター星のホール/撮影:木村洋一

 

劇団アンパサンド『歩かなくても棒に当たる』2024年8月/新宿シアタートップス/撮影:前澤秀登

「三鷹市芸術文化センターは『シアター』ではなく『ホール』なので、自主事業と市民利用を両輪として、運用している施設です。そしておかげさまで利用率は非常に高く、ホールも練習室も常に利用率は100%に近いのです。だから、お客様から支持をいただけず、評価の低い作品ばかりを上演し、集客数も少なかったら、もう自主事業はやらなくてもよいという結論になってしまうかもしれない。だから、自主事業を手掛ける限りは、大人の鑑賞にも耐えうるクオリティとポテンシャルを持った劇団を招聘し、満席になるように全力を尽くしています」

公立の組織においては、ある意味異端児かもしれない森元さんが三鷹市芸術文化センターの母体である三鷹市文化振興事業団(現三鷹市スポーツと文化財団)就職したのは、このホールが開館する1年前の94年9月だった。

「大学4年生の時に旗揚げした劇団を27歳まで続けて解散。で、公演する度に増えていった借金がかなりあったのですが『借金があるうちに就職するのは嫌だ』と思い、借金を返すためだけに2年間ひたすらアルバイトをしまして、ようやく返し終わった29歳の正月に、就職活動を始めました。で、いくつか落ちたんですが(笑)、7月上旬頃、新聞の片隅に『三鷹に新しいホールが出来るのに伴い、演劇企画員募集』という広告を見つけ、『採用条件の演劇関係者というのは、自分でもいいのかなあ』と思いながら応募しました。採用枠は1名で、40人以上受けに来ていた中で奇跡的に受かったんです。自分でも驚きましたね。」

1994年9月1日付けで就職、翌年、1995年の11月3日の開館を目指して準備が始まった。森元さんの担当は、三鷹市芸術文化センター星のホールを中心とした、企画運営だった。

「最初、演劇だけやるのかなと思っていたら、落語や映画、古典芸能も担当してくださいと言われて。それでいろいろ調べてみると、その当時、公立劇場では、文学座や民藝のような老舗劇団の旅公演を1日だけ買い取りで上演するという事業が多く、オリジナル企画で小劇場公演を上演していたのは、演劇ぶっく(現えんぶ)さんが企画したパルテノン多摩の小劇場フェスティバル(87〜2005年)くらいでした」

人気演目の買い取り企画はいまでも地方の劇場の主流になっている。当時オリジナル企画に力を入れ始めていたのは、94年に開館した彩の国さいたま芸術劇場(さい芸)くらいだった。そして同じくオリジナル演目に力を入れる世田谷パブリックシアターが開館するのは、三鷹開館の2年後、97年のことだった。

「さい芸は98年から蜷川幸雄さんと組んでシェイクスピア全作上演企画を立ち上げるというような大規模な公演を実現していましたが、三鷹はそこまで大きな施設ではないし、予算規模も小さい。そして三鷹は、都心に近いといえば近いから、三鷹市民で演劇に興味のある人は、普通に紀伊國屋ホールや本多劇場に行くだろうなと思いました。だから、人気演目が1日だけ上演されて、ちょっと料金が安いといっても魅力に欠けますよね。それじゃあ面白くないなぁと思ったのと、僕自身が人の真似をするのが好きじゃない性分だったので、とにかく三鷹でしか観られないものをやろうと。そして、今現在の集客数に関係なく、自分がいいと思った劇団だけ呼ぼうと考えました」

95年のオープニングフェスティバルとして、森元さんは、ラジカルガジベリビンバシステム時代から大好きだったシティボーイズの公演や、青山円形劇場で上演していた「ア・ラ・カルト ~役者と音楽家のいるレストラン~」がクリスマスの夜を舞台にしたステージだったので、特別にバレンタインデーバージョンを作ってもらい三鷹だけで上演するなどのラインナップを並べた。いわゆる新劇の買い取り公演とは異質な現代的なセレクトである。

その後、小劇場界で頭角を現してきていた拙者ムニエルと猫ニャーと猫のホテルによる「猫演劇フェスティバル」という公共施設とは思えないユーモラスなネーミングの企画などを経て2001年にMITAKA “Next” Selectionを始めた。

「実はオープニングフェスティバルに1劇団だけ若手劇団を招聘したら、それまで下北沢で1,000人動員していたのに700人になってしまって。三鷹のホールは駅からも遠いし、今はまだ知名度も低いから、伸び盛りの若手劇団を招聘すると勢いを削いでしまうのかもしれないと、少し逡巡した時期もあったんです。そんな中、オープンから5年後に『猫演劇フェスティバル』を手掛けたら、とにかくお客さんが溢れるぐらい来てくださって。それで、三鷹のホールで小劇場公演を手掛けてもなんとかなる体力や足腰が少しは付いてきたかなと思って、『MITAKA “Next” Selection』を始めました。若手の小劇場劇団を集める企画で、毎年、最低2〜3劇団というゆるい枠組みにして無理に数をそろえず、時間をかけて自分の足で公演を見て回り、いいなと思った劇団に声をかけています。そして、『今年度の第一位』とかそういう順列をつけず、招聘した劇団は、お呼びする以上、全劇団等しく素晴らしいという考え方でやっています」

 

選択基準はセリフの面白さ

劇団を選ぶために粛々と観劇をして回った。別に観劇時間に超過勤務手当が出る訳ではない。

「自分が好きな芝居を観に行くのだから、自己研鑽だと割り切ってせっせと足を運んでいました。やはり演劇は、劇場で観るのと、映像で観るのとでは、全体的な空気感が違いますからね。だから『映像で観たけど、面白くなかった』という評価は絶対にしません。逆に『映像ですら面白かった』という評価をする時はありますけどね」

森元さんがいいなと思う一番の基準は脚本だ。

「その劇団が今現在、何人集客しているかはまったく気にしていなくて、直接的な表現ではなくて、会話の中から人間関係を浮かび上がらせていくような面白いセリフを書いているかどうかを、最も重視しています。やっぱりセリフが面白くないと大人の観客の鑑賞には耐えられないですよね。演出は、経験値が増すことで、ある時ぐっと伸びる時もあると僕は思っているのですが、セリフはセンスに依るところが大きくて、『では、どういうセリフを書けばいいんですか?』と正解を求めるタイプの人は伸びしろが少ないように思います。多少粗削りでも、鋭く、生きたセリフが書ける人のほうが、伸びる可能性が高いですね。だから僕が原石を判断する一番の基準は、セリフになりますね」

だが、森元さんがいいと思っても、そこは公共施設。森元さんだけの判断では即決はできない。

「もちろん、まずは演劇担当者3名の合議が絶対条件なので、仮に私が推しても、他の2名が『まだ実力的に招聘には早いのでは』とか『こういう点が招聘には適さないのでは』という意見だった場合、話し合った末に『では、その劇団の次回公演を観た上で、また判断しよう』という結論になることはあります。その上で、3人の意見が招聘で一致し、交渉の結果、ご出演いただけるというお返事をもらえたら、ある時期に、翌年度に手掛けたい公演を全てまとめて、予算書と内部的な企画書を作成し、まずは直属の上司、続いて市役所の担当部署、理事会、評議員会、市役所の財政課、さらに市の偉い方々……と何段階にも渡って説明し、ご承認いただかないとなりません」

聞いたことのない名前の若手劇団の企画が、よくぞお役所の人たちのOKをとったものである。
呼んだ劇団が賞をとったり、注目されたり、劇場の活動が新聞や雑誌に載ったり、という実績を積み上げたことによって、年月を経るごとに、企画は理解されやすくなったという。

「最初の頃は、その若手劇団が良い舞台を作っていることの説明に苦心することもありましたが、徐々に『評判いいみたいだね、頑張って』と言われ、それぞれの劇団を知らなくても、応援していただけるようになりました」

ままごと『わが星』2009年10月/三鷹市芸術文化センター星のホール/撮影:青木司

とりわけ、2009年、第10回目の「MITAKA “Next” Selection」に参加したままごとの「わが星」が絶大な評価を得たことは、三鷹の価値をぐっと上げた。団地で暮らす家族と星の一生を重ねる視座や、ラップやループなどの手法が、10年代以降の演劇に大きな影響を与えた作品で、2010年に第54回岸田國士戯曲賞を受賞した。ままごとを見ようと星のホールがものすごく混んでいた記憶がある。
ひとりの演劇好きの人物が、自分の眼で見て選んだ劇団に光が当たり、劇場の信頼性が上がり、たくさんの観客が訪れる。まるでお仕事サクセスドラマのようである。

 

私なりの演劇へのご奉公

と、ここで、お仕事ドラマのような森元さんの逸話をひとつーー

「初期の頃、市の財政課の人に、企画内容を説明して予算要求をする場で、私が必死にその劇団の説明をしていたら、担当の方が『森元さんの熱意はよくわかりました。ちなみに、この劇団は、日本で何番目の劇団ですか?』と聞かれたことがあります。「ああ、これは生きたセリフだなあ」と思いましたね。『何番目の劇団か』なんて考えもしなかったけど、全く劇団のことを知らない市役所の人は、そういう物差しを求めることもあるんだなあと。そう思いながら、何かしら答弁しなければならないので、何の根拠もなく『20番目くらいですかね』と言ったら、担当の人がそれをしっかり、大きな字でメモしていて。『ああ、もしかしたら、日本で20番目の劇団というのが、議会とかで一人歩きするのかなあ』とか思いながらその光景を見ていて(笑)。脚本家が頭で考えた『市役所物語』では、なかなか浮かんでこないセリフやシーンだろうなあと思いましたね」

大変な状況でも、言葉に注意を払っている、さすが森元さんだ。

「若手の頃に招聘した時と、実績を積んで賞を取ったりした後に招聘した時で、接し方が違うと思われることだけはあってはならないと、自分に言い聞かせていますし、部下にも何度も言っています。お呼びする劇団は、どこもすべて素晴らしい劇団。集客数も実績も、老舗も若手も関係なく、敬意を持って接したいと思います」と言う森元さん。その熱意は30年間止まることなく、まだこの先も続きそうだ。
また、MITAKA “Next” Selectionのみならず、その枠組以外でも公演を行っている。城山羊の会もそのひとつ。
そして、12月に上演する劇団普通の『病室』は21年にMITAKA “Next” Selectionでも上演された作品で、今回が再々演となる劇団の代表作だ。

「劇団普通は第3回公演から観ています。東中野にあるRAFTというギャラリーのような小さなスペースでやっていた公演を観たのが最初でした。淡々とした会話劇で、確か、女性が3人だけ出ていた芝居だったのですが、演出力はまだ弱いところも見受けられたけれど、セリフの中にキラキラと光るものがあって、伸びしろを感じました。それから何回か観に行ったら、公演ごとにどんどんセリフが削ぎ落とされていって、皮を剥き過ぎて、もう芯しかないみたいな状態になって。そういう方向に行くのかなと思っていたら、第8回公演『病室』(19年/スタジオ空洞)で、初めて茨城弁を用いて、セリフ量の多い芳醇な会話劇を作り上げていて、演出も的確で、役者も素晴らしくて、抜群に面白かったんです。あとで作・演出の石黒麻衣さんに聞いたら、『ここ何回かの公演でセリフを削ぎ落としていったのは、『病室』を生み出すために、どこまで削れるかを試していた』そうなんです。満を持して、自らの故郷である茨城弁で、豊かな会話劇を生み出した。そのすばらしさに、迷わずMITAKA “Next” Selectionにご出演いただけませんかとお声がけしました」

MITAKA “Next” Selectionは新作でも再演でも自由。石黒さんが『病室』の再演を選んだ。
地方の病院の一室で繰り広げられる入院患者と家族の物語だ。

「上演時期が2021年で、コロナ禍だったため、観たくても観られなかった人もいただろうと。今回こそ『病室』の面白さをより多くの人に、そして、すべての世代の人に届けたいと思っています」

劇団普通『病室』2021年7月/三鷹市芸術文化センター星のホール/撮影:福島健太

目利きが高じて、森元さんは24年から読売演劇大賞の選考委員にもなった。

「ずっと演劇の世界の片隅で仕事をさせてもらってきたので、私なりの演劇へのご奉公かなと思いながらやっています。ただ、これまでもかなり観劇していたのですが、今まで以上に観劇スケジュールがパンパンになってしまって。従来だとちょっと体を休めようかなと思っていた時間を削って、観劇を入れている感じです。というのは、選考会では、自分が観ていない作品には、当然ながら、しっかりした意見が言えないんですね。できるだけ多くの作品を観て、それぞれの作品において、良いところは良い、今一つに感じたところは今一つと、自分の意見を言えるようにしておきたいし、できるだけ多くの作品の中から受賞作を選べたらと思っています。ただこれまでは、主として小劇場公演を観てきましたので、選考会に臨むにあたり、大劇場や老舗劇団の公演も、今までよりも多く観ておこうと。以前は、大劇場と小劇場で観たい公演が重なったら小劇場を選んでいましたが、今はできる限りどちらも観ようと努めています。その上でもちろん、三鷹の公演をきちんと準備して成功させることが一番大事で、そこを疎かにはできないですからね。それ故、三鷹の担当事業と観劇予定で、スケジュールはパンパンになって、観ておきたい公演に、どうしても行けないことももちろんあって。だからMITAKA “Next” Selectionにしても、読売演劇大賞にしても、すべての公演を観て決めていますと言えないのが申し訳ないのですが、偶然拝見できた公演の中から、集客数や地域や劇場の大きさなどに関係なく、自分の目でしっかりと『これは素晴らしい』と思った劇団や作品だけを、選んでいきたいと思います。」

今は、森元さんのほかに、若い職員が2名いて、3人体制で従事している。

「他のホールの方に、担当している公演数をお伝えすると、『本当に3人で運営してるんですか?』と驚かれることもあります。ですから、誰かがオーバーワークにならぬよう、きちんとライフワークバランスを取りながら、3人のチームワークで頑張っていけたらと思います。正直僕は、2人をとても頼りにしていて、ほとんどのことは3人の合議で決めています。3人で相談していると、僕一人では思いつかないようなアイデアや、チャレンジの方向性や、懸案事項への冷静な判断が生み出されることが多いです。少数精鋭だからこそ、お互いの意見の尊重と、そのことが導くお互いへのリスペクトが本当に大事。これからもチームで、ひとつひとつ、公演を成功させていきたいですね」

 

 

【公演情報】

劇団普通 「病室」
作・演出 石黒麻衣
2024年12月6日(金)~15日(日)
三鷹市芸術文化センター 星のホール

 

三鷹市芸術文化センター

三鷹の芸術文化の発信・創造の拠点となる施設。三鷹市スポーツと文化財団主催によるコンサート・演劇・美術等の芸術鑑賞の機会を提供するとともに、練習・創作・発表など、市民の芸術文化活動の場として開放している。

三鷹市上連雀六丁目12番14号

公式サイト https://mitaka-sportsandculture.or.jp/

星のホール  演劇や古典芸能・映画などに使える250席

 

TOPICS

三鷹ならではの企画「太宰を聴く ~太宰治朗読会~ 」を毎年、桜桃忌の時期に開催している。
三鷹市芸術文化センターと太宰の墓のある禅林寺がすぐそばという縁で、2001年からはじまった。
これまでに、奥田瑛二、長塚京三、蟹江敬三、風間杜夫、平田満、國村隼、杉本哲太、豊川悦司、大杉漣、田口トモロヲ、田中哲司、リリー・フランキー、安田顕、吹越満など名優たちが出演している。

 

 

取材・文・写真:木俣 冬

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