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REPORT

野田秀樹さん ドン・キホーテの夢 〜コロナ禍を経て「国際芸術祭」の構想を語る@日本記者クラブ〜

2023年10月17日

2023年9月27日、日本記者クラブで野田秀樹さんが会見を行い、コロナ禍、文化芸術が「不要不急」とされたときの心情と以後の活動、そこから考えた「国際芸術祭」構想などについて語った。

通常の演劇公演に関する会見と違い、様々なジャーナリストが集まった会見で「物々しくて驚いていますが……」とやや緊張気味の野田さん。日本記者クラブ企画委員(時事通信)の中村正子さんの進行で話をし、記者たちの質問にも回答した。1時間ほどの会見をほぼ全文、お届けする(一部、加筆修正あります)。

 

2020年、緊急事態宣言、演劇が不要不急とされて

忘れもしない2020年の2月、ニューヨークへ公演(「One Green Bottle」)に行く途中、羽田空港で、コロナウィルス感染症対策による公演自粛要請が発せられていることを知って、急いで意見書を書きました(*NODA・MAP公式サイトに掲載された)。
「不要不急」と考えるものを閉じて、経済活動を優先することが当たり前になっていきましたが、演劇で生きていく人間にとっては「不要不急」ではなく、自分たちの生活や人生そのものです。それは劇場に限ったことではなく、根拠なく「不要不急」と決められること、この国では文化芸術があっさりと「不要不急」とされることに、憤りに近いものすら感じました。
文化は共同体の礎であり、そこが崩れると、共同体は危ういものになります。例えば、僕がロンドンに留学した1992年、イギリスの経済状況は決して良いものではありませんでしたが、自分たちの文化に対するプライドがあったから、何があっても共同体として踏ん張りきった気がして。いまの日本では、気がついたら足元をすくわれちゃうんじゃないかと感じます。
日本は毎年科学の分野でノーベル賞を獲ってきましたが、その受賞者の方たちが、日本の科学の現況を憂えている。それは、政府の関心、助成金の方向が、今すぐ役に立つものや目に見えて役に立つものになっていて、基礎科学が疎かになっているそうです。出資を含め、目に見えないものに対してのリスペクトの意識が下がっている。それはゆくゆく日本の科学の将来に影響が出てくる、そう憂えている。
文化は、その基礎科学に近い。目に見えて成果がでないし、直接、役に立つことがない。お金がどれくらい稼げるか数字として出てきにくい。だからといって切り捨てると、いつかしっぺ返しをくらうんじゃないかなと。「不要不急」という言葉が発せられたときにとくにそれを感じました。と同時に、演劇の世界を見たときに、「不要不急」と言われても仕方のない状況もある、そこは自分たちでもなんとかしなくてはいけない。
私は40年以上間、演劇だけで食べてきた自負がありますが、最近の舞台人たちは、テレビや映画の仕事もあり、舞台だけで食べる必要がなくなったこともあって、勿論それ自体は悪いことではないけども、舞台で食べていくことに対しての意識が薄くなっている。そのことは舞台の質にも影響を与えている。要するに、演劇活動によってお金を生み出していく力の弱さを感じました。

「実は『不要不急』という言葉をはじめて聞いたとき、聞きなれないその言葉に瞬間、『唯一無二』みたいな、え?いいこと言ってるの?と思った記憶があります。でもそうじゃなかったんですよ」と野田さんは冗談も交えて語った。

 

「緊急事態舞台芸術ネットワーク」の立ち上げ そこから生まれたアーカイブ事業

コロナウィルス感染症対策による公演自粛要請の発令を、2020年“2.26事件”と演劇界では呼んでいます。それ以降、劇場が一旦閉じました。
劇場の経営の仕組みが世間に理解されてないないことに気づきました。言ってみれば、私たちは季節労働者のようなもので、本番の舞台をやっている間だけ収益があるのです。だからワンステージがなくなっただけでもダメージを受けます。簡単に、2、3週間休めと言いますが、2週間と3週間では、まったくダメージが違うのです。その当時も大規模な公演を行っているところほどまず悲鳴をあげました。1公演の中止でも大きなダメージを受けるからです。そして大規模な公演は、たくさんのスタッフ、人々を抱えてますから、多くの人の生活に影響があったのです。 私は3月に海外公演から帰って来て、テレビの前に座って、コロナのニュースを見ながら全くこの世はわかっちゃいねえなあとぶつぶつ文句を言いながら、毎日、毎日見ていました。が、やがてそういう自分の姿がいやになってきて。こういう時こそ「行動」を起こさないといけない、でないと芝居はこの世から見捨てられてしまうと思い、3〜4月、ほうぼうに声をかけて、どれだけダメージを受けているか関係者たちにヒアリングし、5月、民間、公共劇場交えたプロデューサーたちが一同に介して、演劇活動を世間に理解してもらうための緊急事態ネットワークを立ち上げました(*野田さんは代表理事のひとりに就任)。主な活動は、劇場に自粛、閉館を要請した以上、政府に経済的な保証を要求すること、その政府との交渉。それと、劇場を怖がっている人々の不安を取り除くことでした。このためには、劇場同士お互い情報を密に共有しあい、時に劇場は社会の他の場所に比べて、劇場だけが危険なわけではないということを実証実験したりもしました。
「緊急事態」という大きな言葉をつけたわけは、コロナ禍が終わったら解散するし、党派性もなく、芝居の内容やジャンルに関係ない集まりであるので、おそれずに参加してほしいという呼び掛けの意味でした。
演劇界の横のつながりを作ることで情報共有が可能になったことは大きな成果でした。
この活動によって政府との交渉の場ももてるようになり、私も人生ではじめて議員会館、関係各省庁に行きました。その際、私のNODA・MAPは運良く、公演中、コロナ禍の直撃はなく、経済的打撃を受けなかったので、自分に支援しろと言ってるわけではなく、政府に舞台芸術に支援してほしいと言いやすかった。
ただ、国からは(公演中止や延期に対する)直接の補填はしないという方針を早々と決めました。この指針が、その後、ダメージを受けた団体が支援を受けるのに、大変面倒な手続きをしなくてはならなくなった原因でした。たとえば、過去に起きた損害への補填ではないから、将来的に何かやる計画をだせ、それに経済的支援をするということでしたけれども、今大打撃を受けてアップアップのところが、新たな企画を立ち上げるなんて、それは無理難題です。茫然としている震災の被災者に、何でもいい新しいことを始めろ、そうしたら支援してやる、と言っているようなものです。さらに問題視されたのは、スタッフの会社が補填されにくいことでした。そこで生まれたのがEPAD事業(舞台芸術をアーカイブ+デジタルシアター化する)です。過去に行った作品をオンラインで配信するなどして、その活動に補填をもらうことにしました。企画としては新しいけれども、スタッフさんが何かをする必要はなく、かつてその作品を作ったことに支払うという形での、結局、補填です。このアーカイブ事業は、このコロナ禍での数少ないポジティブな成果でした。
海外ではアーカイブのシステムが確立していますが、これまで日本にはアーカイブのシステムが確立されていなかったので、コロナ禍によって思いがけず、良い方向に進みました。演劇界の横のつながりを作れたこともですが、たまたまですが、こうした不幸中の幸いになったこともありました。現に緊急事態と称して、やがて解散するはずだったこのネットワークも、演劇界全体で議論して、折角今までになかった横のつなりが生まれたのだから、このまま続ける形にしようということになりました。

 

近年の海外公演を通して

この会見の3日前までイギリスに行っていましたが、イギリスの劇場の客席は、開演前は騒然としていて、はじまると集中するというように、完全にコロナ禍前に戻っています。
去年10月、「Q」という芝居のロンドン公演で私たち日本の役者は舞台上から、客席で観客がマスクを外した姿を久しぶりに見ました。当たり前の姿なのにこの上なく感動しました。 その時のロンドンの観客の反応もすさまじくて、初日、はじまったらいきなり竹中直人さんの台詞で観客がビックリするくらい盛り上がったので、私は竹中さんが、何か間違ってアドリブ的な動きでもしているのかと袖から覗いたんですね。すると竹中さんはいつものように喋っていて、台詞が字幕で受けているだけだったんです。その受け方が、近ごろの日本の劇場では聞かれないほどの大きさでビックリしました。反面、ああ日本も昔はこれくらい盛り上がったのになあという思いも湧きました。日本でも早く反応が戻ってほしい。劇場に来る観客の心がまだ塞いでいる気がします。居酒屋ではとっくに皆、わいわいしているのに、劇場はなぜまだ?と思うに、劇場によっては、係の方々の規制がいまだに厳しい。いまだにマスクの推奨、おしゃべり禁止の声がけをしている、ということもひとつの理由かもしれません。

 

コロナ禍の公演事情

緊急事態宣言による公演自粛から、上演を再開したのは、まず2020年の夏、東京芸術劇場「赤鬼」でした。おっかなびっくりでの上演でしたが、見終わって帰っていく人の顔がはじまる前と全然違っていて、演劇は見た人の表情を変える力があると感じました。四方囲みの舞台で、当時の状況から感染対策として客席との間をビニールシートで遮りました。でもそれが、かえって海のシーンではいい感じに照明に映えて、それはそれで良いものになりました。

そのあと2020年秋には、オペラ「フィガロの結婚」をやりました。オペラはマスクで稽古できる形態ではないので、舞台に上がると歌手が自発的にマスクを外して稽古をしてくれました。ここでも私の現場は運がよく、一人の感染者も出ませんでした。

2021年は「フェイクスピア」という芝居を上演しました。このとき公演中止はなく、感染者も出ず、稽古は自主的にマスクを外しました。私の芝居の激しい動きでは、かえって別の意味で危険だ、と役者の方からの声もありました。

2022年、「Q」ではデルタ株が最も流行った頃で、重症性はないが感染力が強いのふれこみ通り感染者が出ました。初日を3日くらい遅らせての上演となりました。ひじょうに残念な思いがありました。けれども、この状況を他の劇場、団体はずっと耐えて来たんだなと改めて感じました。
残念という思いでいえば、コロナ禍によって、この海外公演が大好評であったことを世間に周知しえなかったこともその一つです。かつて「THE BEE」(2006年ロンドン SOHO・THEATREで初演)という芝居が大好評を受けて以来の、10誌以上の四つ星、五つ星の劇評をいただいていただけに、コロナ報道の前に、何もかもがかすんでしまったのが残念です。

 

国際芸術祭開催は、僕の最後の夢のひとつ

コロナ禍以前から、東京に演劇祭がいくつかあるが、規模が小さくて、クオリティの高くないものもあり、お金を集めればいいというものではないけど、なんかもっと大規模なものにできないものかという思いがありました。世間に認められるような、みんなが知っている芸術祭――例えばエディンバラ・フェスティバル(世界三大演劇祭のひとつ)のような、その国の誰もが認知している芸術祭が東京にできたらというのが夢です。
今回、コロナ禍を経て、「不要不急」とされたことをはじめとして、文化芸術がいかに世間に認知されてないか改めて思い知りました。各スポーツのワールドカップはおもしろいし、盛り上がります。芸術にもそういうものがあっていいはずだと強く思いました。
緊急事態舞台芸術ネットワークという横のつながりもできたので、声もかけやすくなった。そして演劇だけでなく、音楽団体や現代アート、伝統芸術、伝統芸能とのつながりもできてきたので、いまこそ、呼びかけていくチャンスなのではないかと考えています。
文化のお祭りは、最近の経験でいうと、東京オリンピック開催時には、文化予算がつきました。大阪万博にもつくでしょう。そういうときだけでなく、ふだんから、定期的に芸術祭を行っていき、それに予算がついてもいいのではないかという気持ちがあります。
政府だけでなく、民間に呼びかけることもが大事ではないか。民間企業も経済的なものを負担してくれないか。そこにも呼びかけようと思っています。夢のようなことを言っているのはわかっています。この経済状態が悪いなかで、容易ではないと思いますが、粘り強く呼びかけたい。風車に向かって突っ込んでいくドン・キホーテの夢なのはわかっています。でもそれが私の最後の夢のひとつかなって気がします。
私の若いとき、エディンバラ・フェスティバルの委員長が僕の芝居を見に来てくれて、エディンバラに呼んでくれたことで、海外の道が拓けました。(海外公演のにぎわいの写真を見せながら)例えば、リオデジャネイロは祭りだけで生きているような町ですし、東京のある場所からはじまる芸術祭を定期的に行えることができれば、そしてその賑わいを世間の人々が堪能してくれるならば、二度と不要不急と言われることがなくなるような気がします。

 

 

質疑応答(質問と回答は大意)

「演劇は観客があってはじめて成立する形態なんだ」

 

――意見書が物議を呼んだことについて、いま話せることがあれば。

2020年、意見書を出してすぐニューヨーク公演に行っていたので日本で起こっていることがわからなかった。私の意見書を身勝手だのなんだのと大変なことになっていると後で言われたが、東京に戻って反論をしても蒸し返すだけと思って、その後も一切発言しなかった。ただ、スポーツを例に出したことで、誤解を生んだ。私の「スポーツは無観客でもやれるが演劇は無観客ではできない」という発言の真意は、スポーツの軽視ではなくて、スポーツと演劇は形態として違うことを伝えたかった。たとえば、スポーツは、町でやっているテニスでも、子供がやっているサッカーでも、見ている人がいなくてもやることができる。「相手」がいればスポーツはできる。けれども演劇という形態は、見ている人がいないとやることができない形態なんです。いわば、スポーツにおける絶対に必要な「相手」が、「観客」なんです。だから無観客で芝居をするというのは、「相手」がいないスポーツみたいなもので、演劇として成立しないんです。もちろん、経済的な意味で言えば、プロスポーツは観客が必要でしょう。だから、演劇と同じで、コロナ禍、経済的な打撃があったと思います。ただ、私が言った「演劇はスポーツと違って無観客はあり得ない」の意味は、そこじゃない。演劇は「見る人」と「見られる人」によって成立する芸術形態なので、「見る人」=「観客」抜きでは成立しない。アマチュアスポーツは無観客でもやれますが、演劇はプロでもアマでも、無観客は絶対にあり得ない。演劇は観客があってはじめて成立する形態なんだ、そのことが言いたかったんです。

――グローバル、デジタル、文化と経済の好循環、稼ぐ文化という言葉が跋扈している日本の現在の文化政策をどう思いますか。

稼ぐ文化――自分たちの反省材料として、その方法を、考えることは大事です。というのは、コロナ禍の活動を経て、文化への理解が深めてくれた省庁もあれば、舞台には予算を出さないという省庁もありました。文化は国境がないという主張に、ある省庁からは「国境がないなら国が予算を出す必要はない。でもスポーツは国と国との戦いだから支援する」という発言があったりもしました。開いた口が塞がりません。
東京都の役人からも、何十年も頑張って来た東京芸術劇場のスタッフに、「なぜ、こんなに何作もやるのか、いろんなことを企画するのか、身の丈を知って上演計画を立てればいい」というような発言もありました。現状を知らない、悲しくなるような発言です。舞台支援金などゼロでもいいという暴言もありました。でもゼロにされたら、とてもじゃないけどやっていけないような公共劇場の役割もあります。若手育成とか海外からの芝居を招聘するなど、これらは、例の基礎科学と同じです。こういうものに政府が金を出さないのだとしたら、つまり、それはすぐにお金にならないものには金を出さないというのと同じ発想です。悲しい。

――文化政策の課題、公共芸術の役割

ヨーロッパと日本では芸術監督のあり方が違っていて、ロンドンは立候補して投票で選ばれ、予算の管理なども全部やります。日本ではまだ実務よりも広告塔的なところがありましたが、徐々にプログラム作成などにも関わって、改善されてきています。
公共事業としては、年度予算制が演劇制作と相性がよくないと感じています。演劇は年度をまたがって制作されるので、前年に決まった企画の今年度の予算がカットされると、成す術がない。国際芸術祭もそれがネック。27年度をねらっているが、そんな先の話には金は出ない。だからこそ、民間に呼びかけたい。

――国際芸術祭の構想は今、どれくらい進んでいますか。

夢からちょっと進んだ段階。予算の話をしたり、どういうステップを踏んでいくか考えたり、協力してくれそうな人たちと会いはじめているところです。
東京芸術劇場前の広場のようなプラットフォームがあるといいなと思っていますが池袋は2050年くらいまで工事が行われるので、上野公園が芸術祭の拠点にできないだろうかなどと勝手に夢想しているところです。まさにまだドン・キホーテです。
東京は芸術祭を行うには街が大き過ぎる。祭りは“気配”なので、気配が町に漂うような演出が必要だろうなと思って、小さな拠点をたくさん作りたい。実は現実的なアイデアも自分の中ではいくつか出始めているのだけど、まだ公表する段階ではないです。

――東京芸術祭との関連はどうなっていますか。

東京芸術祭は、今年度はクオリティの高い太陽劇団などを招聘していますが、単発になっているので、これらも巻き込んだ形にしたいと思っています。

 

他に、最近のSNSを中心にした言葉や文化に対する反応についてどう思うかというような質問に、「短くわかりやすくて刺激的な、コピー的な言葉に価値を見出している。自分の作品は昔からわからないと言われて50年。よくやれてきたなと思うけれど、今は、わからないということに対する嫌悪感が昔より強くなっている気がします。私は芝居の内容を事前に過剰に発するべきではないと思っていて、つまり宣伝を見るだけでわかってしまうような映画になりたくない。よく私の芝居は、事前に予習できないなどとご批判を受けるが、予習ってなに!という気持ちです。全部わかるために芝居を見てどうします。短い言葉でわかることが、心地よくなって、わからないことへの寛容さに欠けてきている。例えば、死語という言い方もそうです。そんな言葉は知らない、死語だ。聞いたことない、わからないと排除される。日本の大人は若い人にそう言われると、そうかなと思ってしまう弱さがあるが、僕はもう少し、頑固でありたい、その言葉は死語ではない。お前が無知なだけだ」という話や、アイドルを舞台に起用すること、長崎に生まれた自身が戦争を題材にすることなどの話もあった。

日本記者クラブで会見をした登壇者はゲストブックに揮毫する慣習があり、野田さんは「余韻」と書いた。その理由を「演劇をやっていると、終わったあとの、お客さんの『余韻』を感じる。拍手の分量だけでなく、劇場を出ていったときのそのひとたちのなかに残るものをふくめて大事だと思っています」と語って会見を締めた。

 

 

会見終了後の取材会

「芸術祭ではない『文化祭』だよと言えば、敷居が下がるのかな」

 

――国際芸術祭を構想されているとのことですが、東京キャラバン(2015年からはじまった、日本各地に生きる人々が大切にしてきた文化や伝統芸能の担い手、表現者、新たな可能性を持った若者らとの出会いから、唯一無二の新しい表現を生み出すプロジェクト。“文化混流”をコンセプトに国内外を巡回)は終了して、今後は国際芸術祭へシフトするのでしょうか。

国際芸術祭が実現したら、そのなかのイベント的なこととして復活させられたらいいなと思っています。いま、東京都はキャラバンに予算を出す気がないと思うけれど、国際芸術祭となったら予算もその規模じゃなくなるから。今度はキャラバンの10倍じゃ足りない。理想は100倍くらいになるんじゃないかな。

――キャラバンは全国を回っていましたが、芸術祭は東京で固定ですか。

どこかに拠点を持たないといけないとは思っています。海外から相当大規模な作品を呼ぶ場合、それを受け入れる場が必要です。でもそれができる公共団体はないと思います。

――そこで、民間に協力を募りたいと。

協力してくれるといいなあ。ということで、今回の会見を行いました。すでに、これまで支援してくれている民間企業には多少、相談していますが、何分規模が大きいので……。

――例えば、国立科学博物館では維持費をクラウドファンディングで一般市民から7億円以上集めました。芸術祭にはどれくらい必要なのでしょうか。

何億じゃ足りない。NODA・MAPの公演予算は、長期とはいえ億単位です。何億円規模のイベントだったら、いまでもできる。その規模の芸術祭をいつまでもやっていてもだめだから、なんとか大きなものにしたほうがいいんじゃないかなと思っています。そうやって、文化で稼げるんだということを示したい。

Tokyo Tokyo FESTIVALというものがあったのを知ってますか?(*リオデジャネイロ2016大会後から2021年9月までの期間に展開した)。あまり知られていないよね。その前からフェスティバル/トーキョーというものもあった。個別の企画が周知されないまま終わっていくのではなく、大きな芸術祭を実現し維持していきたい。

聞けば、海外には日本の文化にお金を寄付したいがどこにしたらいいかわからないという人がいるそうで。寄付したいにもかかわらず受け皿がないのはもったいないと思っています。集まれば集まるほど、いろいろな作品を呼べますし、今後、本格的に準備をはじめた場合、実際に動いてくれる実行委員の方々にもペイしないといけないので、それも含めて必要になってきます。


――「稼ぐ文化」を目指すと。

インバウンドを考えた場合、ショッピングや飲食は別で、海外の人が日本に来て鑑賞するものは限られていて、文化芸術では歌舞伎以外に見られる作品がありません。その歌舞伎も外国人にとってすべてが楽しめるかといえば、そうではないから、芸術祭の演目にも目を配らないといけないと思います。ジャンルを演劇に留めないことで規模を大きくすることができるので、音楽やアートなどを含めることが必須。例としては、年度によって、音楽がメイン、演劇がメイン、アートがメインというやり方もありますよね。エディンバラは年度ではなく、委員長が変わると変わるんです。委員長が演劇畑の人だと演劇が主体で、私のときは演劇が委員長だったから呼ばれた。それが何年かして変わるとしばらく音楽畑の人になっていた。最近はまた演劇が戻ってきているのかな。そういうこともあるんで。そのやり方もひとつですね。


――街をどういうふうに使うか。アヴィニョン演劇祭は街中の施設を使って賑わっています。

エディンバラでは、夜、エディンバラ城で行われるミリタリータトゥーというイベントが中心になっています。会見では、エディンバラのほかにルーマニアのシビウ国際演劇祭の写真もお見せしました。エディンバラも小さい街で、シビウはさらに小さいけれど、シビウはフェスティバルによって生き返った町なんですよ。

――日本のアーティストたちは芸術祭によって食べていけるようになりますか。

フェスで食べられるようになることはないかなあ……。基礎科学の話と同じで、これで直接「食べられる、役に立つ」ではなく、この芸術祭で、文化が面白いと感じ取ってくれればいいんです。だからきっと、芸術祭ではない「文化祭」だよと言えば、敷居が下がるのかな。

――才能を見せる場にはなりそうでしょうか。

だからこそ、クオリティの選択が難しくなりますね。

――2027年を目処にされたわけは。

東京演劇祭の枠組みが25、26、27と3年間あるので、そこに合わせるのがいいのかなと。期間を決めないと前に進めないですから。

――大きなお仕事にーー。

なると思います。でもまずは、受け入れられないと、ドン・キホーテで終わっちゃいますね。

――最後の夢のひとつとのこと。最後は早くないですか。

あくまでひとつだからね。これから思いつくこともあるかもしれない。最後は早すぎるかもね、ま、よくある「一生のお願い」のひとつみたいなことです(笑)。「最後の夢」はキャッチコピーがあったほうがいいと言うから。でも「最後の夢」だけだと、この先また「一生のお願い」ができなくなると思って、「最後の夢」の「ひとつ」と加えました。なんとか乗っかってくれる人がいれば。夢が夢で終わりましたってことになるかもしれないけれど(笑)。

――それだけ壮大なことを手掛けると劇作家としてのお仕事は。

それはやります。作家の仕事の傍らでもうひとつくらいできなくはない。キャラバンもやれていたから。

――これから演劇はどうなっていくかについて。「兎、波を走る」ではいち早くAIに着目されました。AIの出現で演劇はどうなりますか。

僕には想像がつかない世界です。人間が書くことと同じくらいの技術がすでにあるということだから、気づいたときには手遅れになりそうな、すごいものなのだとは思いながら、ポジティブには捉えていないかもしれない。ただ、生の演劇が、簡単にAI にとって代わられるとは思わない。言語を用いて書くことに関してはわからないけれど、人間の身体にとって代わることはないでしょう。なぜなら、わたしたち人間は死ぬから。死んだり老いたりする肉体はAIで代用できない。身体をつくることは生命をつくることだから。逆にどうですか?とAI に聞きたい。「いまはまだ無理です」って答えるんじゃないかな(笑)。

 

 

 

HIDEKI NODA

1955年、長崎県生まれ。劇作家・演出家・役者。東京芸術劇場芸術監督。東京大学在学中に劇団 夢の遊眠社を結成し、92年、劇団解散後、ロンドンに留学。帰国後の93年にNODA・MAPを設立。主な作品に、『キル』『赤鬼』『パンドラの鐘』『THE BEE』『ザ・キャラクター』『エッグ』『逆鱗』『足跡姫~時代錯誤冬幽霊~』『贋作 桜の森の満開の下』『「Q」: A Night At The Kabuki』『フェイクスピア』『兎、波を走る』など。モーツァルト歌劇『フィガロの結婚~庭師は見た!~』でオペラの演出、『野田版 研辰の討たれ』や『野田版 桜の森の満開の下』で歌舞伎の脚本・演出を手がけるなど、演劇界を超えた精力的な創作活動を行う。海外の演劇人とも精力的に創作を行い、これまで日本を含む12カ国18都市で上演。22年9月には『Q』をロンドン、台湾で上演し、好評を博す。
23年1月、その国際的な舞台芸術界における活動を評価され、ISPA2023で優秀アーティスト賞「Distinguished Artist Award」を日本人初受賞。
09年10月、名誉大英勲章OBE受勲。09年度朝日賞受賞。11年6月、紫綬褒章受章。
24年夏秋にはロンドンを含む国内外4都市で新作舞台を上演予定。

 

取材・文:木俣 冬
撮影:緒方 一貴

 

 

 

 

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